CoCo壱番屋創業者 宗次徳二 / 華麗なる成功とその哲学

宗次 徳二(むねつぐ とくじ、1948年10月14日[1] – )は、日本の実業家。株式会社壱番屋(カレーハウスCoCo壱番屋)の創業者で元会長。現・特別顧問。NPO法人イエロー・エンジェル理事長。宗次ホールオーナー。妻は壱番屋相談役の宗次直美(なおみ、1950年4月18日 – )、長男はプロゴルファーの宗次弘章(ひろあき、1980年3月11日 – )。


略歴

戸籍上は1948年(昭和23年)石川県生まれとされるが両親は不明。生後まもなく兵庫県尼崎市の孤児院に預けられ、3歳のときに雑貨商・宗次福松、清子夫婦の養子にとなる。養父が競輪やパチンコなどのギャンブル好きで生活が不安定だったことから、15歳まで生活保護を受けて生活し、岡山県玉野市など各地の廃屋を転々とした。養父に愛想を尽かした養母は失踪。養父と2人で、電気や水道を引くこともできず、ろうそくで明かりを得、雑草を抜いて食べるほど困窮した生活を送る。8歳のときに居場所が判明した養母を頼り、養母が住む名古屋市の四畳半のアパートに家族3人で住むが、すぐに養母は家を出た。暴力を振るう厳しい父と2人で暮らし、パチンコ店でこぼれ玉やシケモク(煙草の吸殻)を集めるなどして生計を助けていた。吸殻を拾わなかったり、掃除を怠ると、養父から全裸にされほうきで殴られるなどの虐待を受けた。15歳のときに養父が胃癌のため死去し、養母と同居するようになる。
朝5時半の始発電車に乗り、登校前に同級生の父が経営する豆腐屋でアルバイトしながら学費、生活費などを稼ぎ、1967年(昭和42年)3月に愛知県立小牧高等学校商業科を卒業。翌4月に新聞広告を出していた八洲開発株式会社に応募し、入社する。1970年(昭和45年)2月に大和ハウス工業株式会社名古屋支店に転職後、同僚の直美(のちに株式会社壱番屋社長・会長・相談役、NPO法人イエロー・エンジェル理事を歴任、世界優秀女性起業家賞受賞)と結婚。結婚2年後に独立し、1973年(昭和48年)に自宅1階に不動産仲介会社の岩倉沿線土地を開業した。

不動産業の収入が不安定だったことから、妻と相談し、1974年(昭和49年)にCoCo壱番屋の前身となる喫茶店「バッカス」を名古屋市西区内に開業した。オープン初日に手伝いに入った際、喫茶店が天職であると感銘を受け、不動産業の廃業を決意。のち岩倉沿線土地を廃業(当初は現金収入を増やすために兼業でやるつもりであった飲食店業に専念したくなったため)。1975年(昭和50年)2号店となる珈琲専門店「浮野亭」を開業。

1978年(昭和53年)にカレーハウスCoCo壱番屋を創業、西枇杷島町に1号店を出店する。10ヶ月後に2店の喫茶店を処分。自転車操業が続いたが、新店舗開業などのため尾西信用金庫から借り入れた100万円のうち、20万円は社会福祉協議会や町役場に匿名で寄付した。1982年(昭和57年)には既に売上が3億円を超えており、株式会社壱番屋を設立し代表取締役社長に就任、1998年(平成10年)には500店出店を機に妻・直美と社長を交代し、自身は代表取締役会長となった(社長・会長職の後任は、それぞれ妻直美が務めた)。2002年(平成14年)には代表権のない創業者特別顧問に退き、19歳のときにアルバイトとして入社した浜島俊哉副社長を社長に就かせた。役員からも退任し、経営から引退した。社交的な妻とは対照的に、引退するまで友人を一人も作らず、3、4時間の睡眠時間で、仕事に専念したという。

経営の一線を退いてからは、2003年(平成15年)に音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレスへの支援などのためNPO法人イエロー・エンジェルを設立し理事長に就任。クラシック音楽好きであり、 2007年(平成19年)にはクラシック音楽の普及を目的として、私財を擲って宗次ホールを建設、2012年(平成24年)に1月名古屋市芸術奨励賞を受賞した。宗次エンジェルヴァイオリンコンクール上位入賞者や、五嶋龍や葉加瀬太郎へのストラディバリウスの貸与、宮本笑里へのドメニコ・モンタニアーナの貸与なども行う。2012年(平成24年)4月には株式会社ライトアップを設立し、代表取締役に就任。

ウイッキペディアより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%AC%A1%E5%BE%B3%E4%BA%8C

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